2017年02月26日

感動的な話を紹介します。親が子離れしてくれるのを待っていても・・・


こんばんは、野口嘉則です。

つい先日、
僕の著書を読まれた30代の女性から、
次のようなメールをいただきました。

読んでとても感動し、
涙がとめどなく溢れてきました。

ぜひ皆さんにもご紹介したく、
その要約を以下に掲載します。
(ご本人の了解を得ております)



====================

私は長い間、
母と密着した関係にありました。


さかのぼると小学生のころから、
私は母を慰める役をやってきました。

父の浮気が発覚したときなどは、
母は毎晩のように私に向かって、
父への愚痴を言い続けました。
私は聞き役になって慰めました。

そのころから、私と母の距離は
縮まり過ぎてしまったと思います。


私が中学生になったころから
母は口癖のように、

「お母さんは結婚で失敗したけど、
あなたには幸せになってほしい。
そのためにもあなたには、
いい大学に入って、
立派な社会人になって、
いい人と結婚してほしい」

と言うようになりました。


私は母に勧められるままに
学習塾に入りました。

その塾が少し遠かったこともあり、
母はいつも車で送迎してくれました。


そして私は、
“母が希望した高校”に合格しました。

合格発表のとき、
合格を知った母が涙を流したのを見て、
私は複雑な気持ちになりました。

私以上に喜んでいる母を見て、
「高校に通うのは私なのに・・・」
という違和感を感じました。


私が高校1年生のときに
母と父は離婚し、
それから私と母の二人暮らしが
始まりました。

母は、
「あなたには幸せになってほしい」
という言葉を、
以前より頻繁に言うようになりました。

「あなたが幸せになるためだったら、
お母さんはいくらでも頑張るからね」
とも言うようになりました。


「学費のことは心配しなくていいから、
あなたは大学に行きなさい。
あなたなら○○大学を狙えるはずよ」

と言ってくる母の期待が重くて、
何度か母に反抗しましたが、

私の中では、
母の期待を裏切ることへの罪悪感が強く、
母の期待に応えようとする自分もいました。


母と何度か口論はしたものの、
結局、私は受験勉強をまじめにやり、

最終的に、母が候補に挙げた大学の
一つに受かりました。

その結果に母は
とても満足していました。


母の眼鏡にかなう大学に受かった私は、
大学生になったら母の干渉が減るだろうと
思っていたのですが、
そうはいきませんでした。

私に彼氏ができると、
門限を決めてきました。

門限の時刻があまりにも早い時刻だったので、
私が抗議をしたら、

「一度、彼を私に会わせなさい。
信頼できる人だと思ったら門限を延ばしてあげる」
と言ってきました。

実際に彼を会わせたら、
後で私に、
「あなたのためを思って言うけど、
あのようなタイプの男の子と付き合ったら、
後で必ずあなたが傷つくことになる。
すぐに別れたほうがいい。
それでも付き合うというのなら、
門限をもっと早めるよ」
などと言ってきて、
本当に門限を早めてきました。

また、デート中に
母から携帯に電話がかかってくることも
ありました。


「門限なんか破っちゃえばいいのよ。
お母さんから携帯に電話があっても
出なければいいじゃない」
とアドバイスしくれる友達もいましたが、
私にはできませんでした。

門限を少しでも遅れて帰宅したり、
母からの電話に出なかったりすると、
母は血相を変えて怒るからです。
そしてその後でとても悲しむのです。


父と離婚してからの母は、
経済的な不安を抱えながらも
働いて私を養ってくれていたので、

そんな母を悲しませてはいけない
という気持ちが私の中にありました。

やがて私は、
母に干渉されながら彼と付き合うことに疲れ、
彼と別れました。


就職活動をするようになったときも
母は私に干渉してきました。

「あなた一人でやっていくには、まだ早いから、
家から通えて転勤のない会社を選びなさい」
というのが母の意見でした。

母なりにいろいろ調べたようで、
「あなたの性格に合っていそうな会社を
リストアップしておいたよ」
と言ってリストを渡してきました。


結果的に私は、
母がリストアップした会社には
採用されませんでしたが、

地元のある企業に就職が決まりました。

自宅から通えて
転勤のない仕事でした。


就職を機に母から離れたい
という気持ちはあったのですが、

母を悲しませてしまうことへの罪悪感から、
結局、自宅から通える会社を選んだのです。


そして就職後も、母は、
私にいろいろ干渉してきました。

「男性と付き合うようになったら
必ずお母さんに報告しなさい。
あなたもそろそろ結婚を考えた方がいいし、
お母さんは応援するから」
と母は言いましたが、

彼氏ができたことを報告すると、
以前と同様に門限を決め、
「一度お母さんに会わせなさい」
と言ってきました。


母に会わせると
ますます干渉されるようになることが
わかっていたので、

私は母に
「やっぱり付き合うのはやめた」
と嘘をつき、

母には会社の残業などと偽って
彼とデートを重ねました。


しかし、何ヵ月か後に
彼と付き合っていることがばれてしまい、

それをきっかけに私と母は
大喧嘩をしました。

「私は自分で働いてお金を稼いで、
家にもお金を入れている。
今はお母さんに養われているわけじゃない。
なんでこんなに干渉されなきゃいけないの」
と泣きながら訴える私に対して、

母は、
「お母さんはあなたに幸せになってほしいから、
あなたのことをいろいろ心配しているのよ。
親が子の幸せを願うことのどこが悪いというの?」
と言ってきました。

私はかねてから、
一人暮らしをしたいと思っていたので、
思い切って母に、
「そんなに私のことが心配なら、
私は家を出て一人暮らしをするよ。
私が目の前にいなければ、
お母さんも心配にならないでしょう」
と言いました。

そのとき母は
「勝手にしたらいい」
と言ったのですが、

後になって、母は涙を浮かべながら、
「お母さんはあなたの幸せのために
自分の人生をささげてきたのに、
あなたはお母さんを見捨てるの?
あまりに恩知らずじゃないの?
お母さんのこれまでの人生は
なんだったの?」
と言ってきました。


その言葉を聞いた私は、

「親を悲しませてしまう自分は、
親不孝な悪い娘だ」
という気持ちになり、
家を出ることをあきらめました。

それは就職して一年目のことでしたが、

その後も私は家を出ることができず、
母との密着した関係を変えることが
できないまま、
ついに30代になりました。


そして昨年の秋に、
ある事情で会社を辞めたのですが、

それを機に私は再び、
家を出て一人暮らしをしたい
と思うようになりました。


私が自分の人生を
自分の足で歩んでいくためにも、

過干渉な母親との間に距離を置くことは
必要なことだと思いました。

しかし、私の中の
「お母さんを悲しませてはいけない」
という気持ちから、
私は強い罪悪感に襲われ、
どうしても決断することができませんでした。

「私が我慢するしかないのか」
という気持ちにもなりかけていました。


そんなとき野口先生のメールマガジンで
『完全版 鏡の法則』のことを知り、
すぐに購入して読ませていただきました。


前半の物語を読んだとき、
父のことを思って涙があふれました。

そして、父と自分の関係について
初めて見つめ直すことができました。


私はずっと父のことを嫌ってきた、
と自分で思っていましたが、
それは母を慰める役をしているうちに、
いつしか母の気持ちに同調するように
なっていたのです。
そのことに私は気づきました。

幼少期の私は父のことが好きでした。
父は私にいろいろ優しくしてくれました。

しかし私は、
いつの間にか母の側の味方になって、
父を責めるようになったのです。

本当は私は父のことを
好きなままでいたかったのだと思います。


母と父が離婚した後も、
私は母の気持ちを気遣って、
父と連絡を取ることを遠慮してきました。

私が高校生のころ、
父から何度が手紙がきましたが、
いずれも私が読む前に
母が捨ててしまいました。

父は私からの返事がこないことに
きっとがっかりしたことと思います。


そんなことを思い出すうちに、
涙が止まらなくなりました。

私は泣きながら
「お父さん」とつぶやいていました。

それは十数年ぶりに口にした
言葉でした。


気持ちが落ち着いたところで、
後半の解説を読み、
私の中に勇気が湧いてきました。

私は、生まれて初めて、
「親をがっかりさせてもいいんだ。
親の期待を裏切ってもいいんだ」
と思えました。

それまで私は、
「親をがっかりさせることは
親を不幸にすることだ。
親の期待を裏切ることは
親不孝なことだ」
と思っていましたが、

それが間違った思い込みであることに
気づけました。


「子どもは親の期待を裏切ることによって
親から心理的に自立していく。
そして、そのことによって、
親も子離れできる」
という言葉に私は勇気づけられました。

また、
「子離れできない親は、
いつまでも子どもに過剰な期待を
持ち続けてしまい、
その期待に応えてもらえないことに
不満ばかり感じるようになる。
強い被害者意識で人生を送るようになる」
という言葉に私は愕然としました。

母がまさにそのような状態だったからです。


私は母の過剰な期待に
無理して応えようとしてきましたが、
その結果、母は子離れすることができず、
被害者意識で苦しむようになったのですね。

私が家を出て一人暮らしをすることは、
たしかに母の期待を裏切ることになりますが、
そのことによって、
私も心理的に自立できるし、
母も子離れができるのならば、

それは長い目で見れば、
母の幸せにもつながることだと
確信できました。


勇気が湧いた私は、
意を決して母に、

「今のままだと
私は私の人生を生きることができない。
私は家を出てお母さんから自立したい」

と伝えました。


母は予想どおり抵抗し、
私に罪悪感を感じさせるようなことを
言ってきましたが、
私の決意は変わりませんでした。

その後、私はアパートを借り、
母が仕事に行っている間に、
引っ越しをしました。


住所は教えませんでしたし、
私の携帯にかかってくる母からの電話には
出ないようにしているので、
母は私に携帯メールで恨み言を送ってくる
ようになりました。

私は母に、
「月に1回はこっちから電話するけど、
それ以外は、メールの返事もしないよ」
と伝えました。

それでも、その後1週間くらい、
母は毎日メールを送ってきましたが、
ついには観念したようで、
メールも来なくなりました。


しばらく私も
罪悪感と不安で苦しみましたが、
新しい仕事先を見つけ
新しい生活を始めたことで
少しずつ和らいできました。

そして私は、
本の中で紹介してあった
「ゆるすための8つのステップ」を
やってみました。


母に対するゆるせない気持ちが
次から次へと出てきてました。

自分はこんなにも我慢していたんだと、
自分でも驚きました。

ステップ2を完了したときは
とてもスッキリした気分になりました。

そしてステップ8まで行ったとき、
母に心から感謝できたのです。


解説の中に
「親の期待を裏切る勇気を持ち、
親との間に境界線を引くことができてこそ、
親に心から感謝できるようになる」
ということが書いてありましたが、
まさしくそれを体験しました。


母の期待に応えようとしていたときの
私にとって、
母は重い存在でしかなかったし、
私はそんな母が嫌いでした。

母に感謝するという気持ちには
なれませんでした。

それなのに、
母を悲しませてはいけないと
無理をしていたのです。


ですが、
母の期待に応えようとするのをやめ、
母と距離を置いたことで、

母を一人の不器用な人間として
客観的に見つめることができ、

不器用ながらも私を育ててくれたことに、
心から感謝することができたのです。


私は今後も、
母の期待に応えることはできませんが、

無理のない範囲で
親孝行はできると思います。


そして昨日、引っ越してから初めて、
母に電話をしました。

やはり母から恨み言を言われましたが、
私は母に、

「お母さんからちゃんと自立できたら、
私なりに無理のない範囲で
親孝行をするから。
だけどそれは、
お母さんの期待する親孝行とは
違うと思う。
私はお母さんの期待どおりの娘には
なれないよ。
だけど私なりに親孝行はするつもり。
今後もしばらくは月に1回電話する。
それが今の私にできる親孝行だよ」

と伝えることができました。


母は納得しませんでしたが、
私は「また1ヵ月後にね」と言って
電話を切りました。

電話を切った後は、
やはり罪悪感が湧いてきましたが、
以前より軽くなっていました。


そして私は
今の自分の選択に、
これでよかったのだという確信も
持てています。

母が子離れしてくれるのを待っていたら、
私は老人になっていたかもしれません。

そして一生、
母を恨み続けることになっていたと思います。

今この時期に家を出ることができたことは
きっと正解だったと確信しています。


そして、次に母に電話するときは、
「お母さんもお父さんも
私にとってはかけがえのない親だよ。
私はお父さんとも連絡を取りたい」
と伝えて、
父の連絡先も聞き出そうと思っています。

父との関係も、できる範囲で修復したいと
思っています。


先生のご著書を読んだことがきっかけで、
この1ヵ月半の間、
私の人生は大きく動きました。

そのことをどうしてもご報告し、
感謝の気持ちをお伝えしたく、
メールを送らせていただきました。

勇気を与えてくれる本を書いていただき、
ありがとうございました。

====================



以上、
Kさんが送ってくださったメールを
僕なりに要約してご紹介しました。

僕はこのメールを読んだとき、
Kさんの勇気に深く感動し、
涙しました。

Kさんご連絡いただき、
本当にありがとうございました。



また、このKさんのメールは
とても示唆に富んでいると思います。


・親が子離れしてくれるのを待っていても、
その日はやってこないかもしれない。

・親をガッカリさせてもいい。
長い目で見ると、それが親孝行になる。

・親の期待を裏切る勇気を持ち、
親との間に境界線を引くことができてこそ、
親に心から感謝できるようになる。

ということを、
僕はこのメールから
あらためて教えられた気がします。



『完全版 鏡の法則』を出版して
本当によかった、
と思います。

親との関係や配偶者との関係が
しっくりいっていない方や、

ご自分の人生に起きている問題の
解決の糸口が見つからない方で、

まだこの本を読んでおられない方は、

ご関心があるようでしたら、
ぜひ読んでみてください。

「人生とは自分の心を映し出す鏡である」
という法則について書いた本です。
http://amzn.to/2j7z9jA

『完全版 鏡の法則』
kanzenban












<追記>
以前にも紹介しましたが、
最後に一つの動画をご紹介します。

この「鏡の法則」の物語は、
約10年前に出版したときに、

「読んだ人の9割が涙した物語」
として話題になったわけですが、

当時、テレビ番組で、
「本当に9割もの人が涙するのか」
を検証する、
という企画がありました。



その番組は、
毎週、yahoo で検索された言葉の中で、
検索上昇率が一番高かった言葉を
発表する番組だったのですが、

その週は「鏡の法則」という言葉が
検索上昇率1位になり、

それで、拙著『鏡の法則』を取り上げて、
「本当に9割の人が涙するのか」を
検証したわけです。

この番組の中の方法をもって
検証と言ってしまうのは、
無理があるのではないかと思われますが(^^;、
ご参考までに紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=kRL9AsxXTV0



最後まで読んでいただき、
ありがとうございました!

なお、今回の記事は、
Facebookにも投稿しています。
http://bit.ly/2lIU1lk




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この記事へのコメント

1. Posted by 花子   2019年01月28日 01:15
いつもありがとうございます。
わたしは父の病気がきっかけで、三才から感情を抑圧するようになり、特に喜びや楽しみと言ったものを最近まで知らず、四十代になっていました。いい子を演じ、人形のようでした。
でも、私と同様、父も一人の人間だし、至らない部分もあるよねと、父のことを許し始めたら、生まれて初めて、子どもである自分を解放しました。恥ずかしながら、道々童謡を歌い、こんなことでこんなに嬉しいんだと思いました。過干渉な父でしたが、自己受容するうち、ふと、父にも、受容されていたのかなあと思いました。許しは、解放につながります。親を許せない人も諦めないでほしいと思います。

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