2017年01月18日

悪者探しからの解放。不登校と家族療法。円環的因果論。


こんにちは、野口嘉則です。

今回は、
家族心理学や家族療法の話も交えながら、

・「あなたは悪くない」
・悪者探しからの解放
・不登校と家族療法

などの話をしたいと思います。



では、話を始めましょう。



「Aという問題を生み出した原因はBだ」
といった「ものの見方」を
直線的因果論といいますが、

僕たちは、この直線的因果論で、
ものごとの原因を特定したくなる傾向があります。

しかし、その「ものの見方」が問題をこじらせ、
悪循環を生んでいるケースも多いのです。



次のような夫婦を例に考えてみましょう。


毎晩、仕事が終わると居酒屋に行き、
お酒を飲んで、夜遅く帰ってくる夫と、
夫に対して小言を言う妻のケースです。



夫はこんなふうに考えています。

「妻が口うるさいから、
自分は家でリラックスできない。
だから自分はお酒を飲んでから帰るんだ」

つまり、夫の頭の中では、

「自分が遅くまで外でお酒を飲む理由は、
妻が口うるさいからだ。
自分の飲酒の原因は妻だ」

という直線的因果論が成り立っており、
夫はそれが正しいと信じています。



一方、妻はこんなふうに考えています。

「夫が毎晩のようにお酒を飲んで帰ってくるから、
私は夫に言って聞かせなければならない。
家計に余裕があるわけではないのに、
夫がお酒などに無駄遣いをするから、
私は言いたくもない苦言を言わなければならない」

つまり、妻の頭の中では、

「自分が夫に口うるさく言わなければならない理由は、
夫が遅くまで飲んで帰ってくる習慣をやめないからだ。
私が毎晩のように小言を言う原因は夫にある」

という直線的因果論が成り立っており、
妻はそれが正しいと信じているのです。



要するに、

夫は、
「妻が原因なのだから、
妻が変われば問題は解決する」
と思っており、

妻は、
「夫が原因なのだから、
夫が変われば問題は解決する」
と思っているわけです。



そして夫は、
「妻が小言をやめないなら、
自分はもっと遅くまで居酒屋で飲もう」
と、ますます遅くまで飲むようになるし、

妻はそんな夫を変えようとして、
ますますキツく小言を言うようになります。

そして、それに呼応して夫は、
さらに遅くまで居酒屋に居座るようになり・・・

こんなかんじで「悪循環」が生じるわけです。



ここで、家族心理学の話をしますが、

家族心理学においては、
夫婦を「相互影響し合うシステム」と捉えます。



どういうことかといいますと、

夫婦関係において、夫と妻は、
常におたがいが影響し合っていて、

その相互影響の関係性の中で
その夫婦特有のパターンが生じるのであり、

どっちか一方だけが原因になっているわけではないのです。



上記の夫婦においては、
「夫が居酒屋に通い、妻が小言を言う」
という循環パターンが、

どちらか一方が原因というわけではなく、
夫婦の相互影響の中から発生しているわけです。



別の言い方をするなら、

ニワトリと卵の関係と同じで、

どちらか一方を原因とすることはできず、
どちらもが原因であると同時に結果でもあるわけです。

これを、
円環的因果論とか循環的因果論とも言います。



人間関係の問題や家族の問題は、
円環的(循環的)因果論でないと、
解決の糸口を見いだせないことが多いのですが、

しかし僕たちは、
ものごとを自分の理解しやすいように
直線的因果論で解釈する傾向があります。

人間関係や家族の問題を、
自分の理解しやすい切り口で切り取って、

「Aという問題を生み出した原因はBだ」
「悪いのはBだ」
という解釈をしがちなのです。

そして、
その間違った解釈にもとづいて行動するため、
ますます悪循環をエスカレートさせてしまうわけです。



直線的因果論について、
もう一つ、別の例で考えてみましょう。



たとえば、子どもの不登校のケースで、

「その子の自尊心が低いから(原因)、
不登校になったのだ(結果)」とか、

「母親の育て方が悪かったから(原因)、
不登校になったのだ(結果)」とか、

こんなふうに考えるのが、
直線的因果論ですね。



あるいは、

「母親の育て方が悪かったから(原因)、
子どもの自尊心が低くなり(結果)、
子どもの自尊心が低くなったから(原因)
不登校になったのだ(結果)」

と考えるのも、
直線的因果論です。



僕はこれまで、
不登校になった子どものご両親のサポートも
たくさんやってきましたが、

「子どもが不登校になったのは
親である私の育て方が悪かったからだ」
という直線的因果論で捉えてしまったために、

自分を責めて、
深く傷ついておられた母親や父親が
たくさんいらっしゃいました。



特に母親が傷ついているケースが、
圧倒的に多いです。

というのは、
「子どもが不登校になったのは
母親の育て方が悪かったからだ」
という直線的因果論による解釈を、

母親本人だけでなく、
その夫や両親や教師や友人までもが
信じているケースも珍しくなく、

母親だけが一人で責任を背負い込んで、
孤独に苦しんでいるケースが多いのです。



家族心理学を学ぶと、
その母親が悪いわけではないということが
わかります。

ですが、先ほども述べたように、

僕たちは、
直線的因果論でものごとを考えてしまう傾向があり、

犯人さがし(原因さがし)をして、
犯人(原因)を特定したくなるわけです。



しかし、実際のところ、
人間関係の問題や家族の問題においては、

直線的因果論による原因特定では、
問題解決に至らない場合が多いです。

犯人(原因)らしきものを見つけて、
それを変えようとしても、
実際はうまくいかず、行き詰ってしまうケースが
とても多いのです。



心理療法の中に、
「家族療法(ファミリーセラピー)」というものが
あります。

これは、
「子どもが不登校になった原因は、
親の育て方が悪かったからだ」
といった直線的因果論で問題を捉えるのではなく、

視野を家族全体に広げて、
家族内の様々な関係性を包括的・全体的に
見ていくアプローチです。

円環的(循環的)因果論で
家族全体を見ていくのです。



そして、家族療法においては、

子どもと母親の関係、
子どもと父親の関係、
だけでなく、

両親の夫婦関係、
両親と祖父母の関係、
子どもの兄弟姉妹関係、

など、様々な関係が複雑にからみあう
システムとして家族を捉え、

「家族システムのバランスの歪みを表面化する役を、
今は子どもが引き受けていて、
不登校という形で表現している」

と考えます。



家族療法においては、
症状や問題行動を起こしている人のことを、
ペイシェント(患者)と呼ばずに、
IP(アイデンティファイド・ペイシェント)と呼びます。

これは「患者とみなされている人」、
あるいは「患者の役割を担っている人」という意味です。

上記の例だと、
不登校の子どもがIPということになるわけです。



症状や問題行動を起こしている人(IP)は、
実は「患者」なのではなく、
「患者の役(家族全体の問題を表面化する役)
を担っている人」
なのであり、

家族システム全体のバランスを調整できたなら、
症状や問題行動を起こす役(患者の役)を
担う必要がなくなるわけです。



このような考え方にもとづいて、家族療法では、
家族各人どうしの関係性や
家族システム全体のバランスを見ていき、

そこにアプローチしていくことによって、
結果的に、
IPの症状や問題行動を解決していくのです。



家族療法の場合、
直線的に原因を特定することはしません。

つまり、誰をも悪者にしないのです。



家族療法では、
原因探しや悪者探しをせず、

今も続いている悪循環のパターンに気づき、

「どのような状態になりたいのか」
「そのために、どこから変化を起こしていくか」
「どのように循環のパターンを変えていくか」
に取り組んでいきます。



そして、
今も続いている悪循環のどこかに、
小さな変化を起こします。

そして、その小さな変化が、
やがて全体に影響を与えていきます。



変化を起こすには、
どこを変えてもいいし、
誰からはじめてもいいのです。

たとえば、
子どもの不登校やひきこもりのケースでは、
家族療法のセッションに子ども本人は来なくて、
両親が二人で来談するケースも多いのですが、

その夫婦の関係性に変化を起こしていくことで、
その家族が持っている自然治癒力が回復し、
結果的に子どもの問題が解決したりします。



家族療法的なアプローチによって、
個人の症状や問題行動が解消していくプロセスは、
家族療法に関する様々な書籍で読むことができます。

たとえば、
家族療法家サルバドール・ミニューチンの著書
『思春期やせ症の家族--心身症の家族療法』には、

子どもにアプローチするのではなく、
家族全体にアプローチすることによって、
結果的に子どもの摂食障害(拒食症)が
治っていったプロセスが、
いくつもの事例によって紹介されています。



以上、今回は、
家族心理学や家族療法の話を交えて、

直線的因果論ではなく、
円環的因果論で捉えることの有効性

についてお伝えしました。



ただし、人間関係においても、
直線的因果論で捉えることが有効になる
状況もあります。

たとえば、
親との間に境界線を引けなかった人が、
親から心理的に自立しようとするときには、

「親が悪い」
「親のせいで私は苦しんだ」
と直線的因果論で考えることが、

とても役に立つのです。



特に、
過保護な親や過干渉な親に育てられた人は、

親との間で我慢してきたことがたくさんあっても、
親を責めることへの罪悪感から、
怒りを心の奥に押し込めている場合があります。

しかし、親に対する怒りを抑圧していると、
その怒りが自分に向かうようになり、
自責の念や自己嫌悪に悩まされるように
なってしまいがちですし、
親からの心理的な自立も進みません。



ちなみに、前回の記事では、

過保護な親や過干渉な親に育てられて、
親との間に境界線を引けずに悩んでいる方に向けて、

親から心理的に自立することを応援するべく、
ご参考になりそうな話をさせていただきました。



「『親が悪い』と思ってもいいのですよ」
「親に対して怒りを感じてもいいのですよ」
「自分がすべての責任を背負い込まなくてもいいのですよ」
というメッセージを込めて、
記事を書きましたので、

過保護な親や過干渉な親に対しては、
かなり手厳しい論調になってしまいました(^^;



読者さんの中には、
育てられた子どもの立場ではなく、
子どもを育てている親の立場で記事を読まれ、

自分が親として過保護・過干渉であると感じて、
へこんでしまった方もおられると思います。



子どもを育てる親の立場で読まれた方は、
直線的因果論で捉えないようにしてくださいね。

たとえば、

「子どもの問題の原因は、
すべて親にある」

「子どもの問題の原因は、
すべて親の育て方にある」

「わが子が自信のない子になったのは、
親である自分が過干渉だったことが唯一の原因だ。
すべて自分が悪いんだ」

といった直線的因果論で捉えてしまったら、
へこんでしまいますよね。



どうぞ、ご自分を、悪者にしないでください。



たしかに、
「育て方を変えた結果、
子どもが変わった」
というケースはたくさんありますから、

親が子どもに影響を及ぼすことが
できるのは確かですが、

しかし、
「親の育て方が
子どもの問題の原因のすべてである」
と考えるのはナンセンスですね。

影響を及ぼせるということと、
原因であるということは大きく違います。



また、
お子さんのいらっしゃる方であれば、

程度の差はあるにせよ、
過保護になってしまったり、
干渉し過ぎてしまったりという経験は、
誰にでもあることだと思います。



僕も過去の子育てを振り返ると、

「あのときは、口出ししなくていいことにまで
口出ししてしまったなぁ。
ずいぶん干渉してしまったなぁ」
とか、

「あの時期は過保護になってしまってたなぁ」
と、

反省することがいくつもあります(^^;



過去を振り返るなら、

皆さんそれぞれに、
反省することや悔やまれることが
あるかもしれませんが、


大切なことは、

・これからどうしていきたいか?

・将来どんなことを達成・実現したいか?

・そのために、今何ができるか?

ですよね。



僕が書く記事も、
そのためのご参考になればうれしいです。



ここで、今回の記事の内容に関連して、
僕の新刊『完全版 鏡の法則』についても
補足的な話をしたいと思いますが、

「鏡の法則」の物語においても、
直線的因果論で捉えることはおすすめできません。



この物語においては、
栄子という女性が主人公になっておりますが、

「すべての問題の原因は栄子の心の中のみにある」
とか、

「栄子が父に感謝できない限り、問題は解決しない」
といったふうに、

直線的因果論で捉えてしまうと、
とても窮屈なかんじになってしまいますね。



解説編にも書きましたが、

内面的なアプローチだけに囚われるのではなく、
今できる行動に焦点を当て直し、
外に働きかけることも大切です。

それによって問題が解決されることも
多々あります。



また、
「親をゆるせないことがすべての原因である」
というふうに直線的に捉えてしまうと、

「親をゆるせないと、人生は好転しない」
という結論に至ってしまい、
壁に突き当たってしまう人もいると思います。



やはり解説編に書きましたが、

ゆるせない相手がいる方は、
ゆるせない自分をゆるして、
自己受容に焦点を当てていけばいいのです。



物語の中で栄子に助言をする矢口氏は、

決して、
「父親をゆるしていないことが唯一の原因であり、
父親をゆるさない限り栄子の問題は解決しない」
という直線的因果論にもとづいているのではなく、

いくつもある切り口の中から、
「父親との関係」という切り口を選び取り、
そこにアプローチすることを提案しているのです。



変化を起こすには、
どこを変えてもいいし、
誰からはじめてもいいわけですが、

栄子に対しては、

父親との関係を見つめ直し、
父親に対して反抗期のやり直しをする、

という切り口を提案したわけです。



新刊の『完全版 鏡の法則』では、
そのあたりのニュアンスがちゃんと伝わるよう、
矢口氏のセリフをずいぶん手直ししました。
http://amzn.to/2j7z9jA

『完全版 鏡の法則』
kanzenban











約10年前に出版した旧版の『鏡の法則』では、
栄子に対する矢口氏の話の進め方が
ずいぶん雑だったこともあり、
直線的因果論で解釈された読者が多かったようなのですが、

完全版においては、
そのような誤解が起きにくいよう、
矢口氏が細やか、かつ丁寧に助言する形に
セリフを修正しました。

矢口氏も10年経って、
ずいぶん成長したわけです(笑)



最後におまけですが、
一つの動画をご紹介します。

この「鏡の法則」の物語は、
約10年前に出版したときに、

「読んだ人の9割が涙した物語」
として話題になったわけですが、

当時、テレビ番組で、
「本当に9割もの人が涙するのか」を検証する、
という企画がありました。



その番組は、
毎週、yahoo で検索された言葉の中で、
検索上昇率が一番高かった言葉を
発表する番組だったのですが、

その週は「鏡の法則」という言葉が
検索上昇率1位になり、

それで、拙著『鏡の法則』を取り上げて、
「本当に9割の人が涙するのか」を
検証したわけです。

これをもって検証と言ってしまうのは、
あまりに強引と思われますが(^^;、
ご参考までに紹介します。
https://www.youtube.com/watch?v=kRL9AsxXTV0



最後まで読んでいただき、
ありがとうございました!





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