2005年01月17日

なぜ相手の話を聞けないのか?(コーチング的聴き方)

昔々、あるところに、貧しい夫婦が住んでいました。
夫婦には2人の子どもがおりましたが、あまりの貧しさで、子どもに充分
食べさせてやることもできませんでした。

貧しさから脱出するために、夫は1年間の出稼ぎに出ました。
夫は1年間、身を粉にして激しく働き、毎月その稼ぎを送ってきたので、
かなりのお金が貯まりました。

もうすぐで1年間の出稼ぎが終わるというころ、夫は無実の罪で監獄に入
れられてしまいました。
心配した妻は、夫に会いに監獄まで行きましたが、監獄の看守は、夫に会
わせてくれませんでした。
そして看守は、「あり金を全部持ってきたら、夫に会わせてやる」と言い
ました。

妻は、貯めたお金をすべて持って再び監獄に行き、正直なことに、すべて
を看守に渡しました。
こうして妻は夫に会えたのですが、話を聞いた夫は、「俺が1年間も働い
て稼いだお金を、全部他人にくれてやるなんて!」と失望し、妻を離縁し
ました。

ことの一部始終を聞いていた看守は、「俺の知ったことではない」とつぶ
やき、大金を手に入れたことを喜び、大笑いしました。
-----------------------------------------------------------------

さて、あなたは上の話を読んで、3人の登場人物のうち、誰が一番悪いと
思いますか?

夫、妻、看守。

以前、参加者20人の勉強会で、上記の話の中で「誰が一番悪いと思うか?」
を聞いてみたら、次のような結果が出ました。

・「夫」と答えた人     8人
・「妻」と答えた人     3人
・「看守」と答えた人    6人
・「夫と妻」と答えた人   2人
・「誰も悪くない」と答えた人 1人

それぞれの答えに、それなりの根拠がありました。

夫が悪いと答えた人からは、「妻が愛情からやった行動に対して、離縁を
するとは、ひどすぎる。」などの意見が出ました。

妻が悪いと答えた人からは、「夫が一年間働いて得たお金を、全部差し出
すなんて、バカ正直過ぎる。全部差し出さなくても夫には会えたはず。」
などの意見が出ました。

看守が悪いと答えた人からは、「この欲深い看守こそが、仲のよかった夫
婦の関係をブチ壊したのだ。」などの意見が出ました。

夫と妻が悪いと答えた人からは、「この夫婦に起きた出来事は、すべてこ
の夫婦が選択した結果だ。第三者の看守は関係ない。夫婦の責任だ。」と
いう意見が出ました。

そして、「誰も悪くない」と答えた人は、「良いも悪いもない。各人が各
人の学びをしたのだ。」との意見でした。

「自分の考えが、なぜ正しいのか?」をもっと主張したそうな人も数人い
ました。
そのまま議論が白熱化しそうな雰囲気でしたが、議論したところで、全員
が同じ結論に達する事はなかったのではないかと思います。


上記のように、わずか3人の登場人物による単純なストーリーでさえ、人
それぞれ、受け取り方や判断基準が違うのです。
「人は皆、違う。」

この地球上で、あなたとまったく同じ考え方を持つ人は1人もいないわけ
です。
人はそれぞれ、独自の価値観を持ち、独自の判断基準を持つのですから。


では、このことと「話を聞けない」ということは、どんな関係がありそう
ですか?
よく考えてみてください。

斎藤一人さんが、著書で次のようなことを語られています。
この言葉は、私にとって大きなヒントになりました。

「どっちが正しいかを考えない。主張しない。どっちが楽しいかを考えよう。」

(明日に続きます)

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この記事へのコメント

1. Posted by alchemist   2005年01月18日 01:09
コーチング、私も少々人を動かす場所にいたことがありました。
毎回勉強させていただいています。
ついでに私のブログにリンクも貼らせて頂きました。 
どこかで聞いたことあるような話だなあと考えていたら、この話「カンタベリー物語にでてくる逸話と似ていますね。」
それでは、今後とも勉強させていただきます。
2. Posted by 和田治邦です。   2005年01月18日 09:07
どっちが正しいより、どっちが楽しいかを考える。
忘れかけていました。今日はその気持ちで接しようと思います。
大きなヒントをありがとうございました。
3. Posted by 野口嘉則   2005年01月18日 19:33
alchemistさん
はじめまして。
今回の話は、ある逸話を元にして、私が作り直したものなんです。
その元となった逸話が、その「カンタベリー物語」という本に出てくる
のかもしれませんね。
参考になる情報をありがとうございます。

和田さん
いつもコメントありがとうございます。
「どっちが楽しいか」
おたがい、心がけていきたいですよね。
4. Posted by miwa   2005年12月29日 15:46
どっちが楽しいか!大事な事でしたね!

違いを分かってあげることもきずかされます。
5. Posted by Priya   2005年12月30日 16:20
だれも 悪くない シンプルに
立場によって 情でみると 悪者作りたくなるんでしょうね
6. Posted by 睦月   2006年07月22日 06:06
おはようございます。
「人は皆、違う」
当たり前のことなのに、私も含めて大部分の人がわかってませんね。
特に日本人は横並びというか、少しでも違うとはじかれてしまうようなところがありますね。

どちら正しいかより、どちらが楽しいか!!
素敵な基準ですね。
今日もいいお話、ありがとうございます。
7. Posted by yurari   2006年07月23日 19:58
どちらが楽しいか。
それよりも人は正しさで判断しがちですね。
正しさを捨てるのも勇気。なのでしょうね。
私の正しさを捨てたら自分自身が、自分の意見、価値がなくなってしまいそうな気もします。
でも、捨ててみようか。
楽しさ、優しさを選ぶ自分自身という価値を作ってみようかしら。
8. Posted by みっさん   2006年09月08日 09:44
初めまして。
どちらが楽しいか…

そんな風に考えたことなかったです。
今日、この記事に会えてよかったです。


1日が始まります!
9. Posted by しろくま   2006年12月19日 00:05
各人が楽しいことだけを選ぶ。
むずかしそうですね。
勘違いすると、堕落しそうです。

3人のうち、誰が悪いか。
悪意のあった人がいたかどうかはこの話ではわかりません。

ただ、この夫婦と、子供たちは不幸になったのではないですか。
それは誰かが悪いというのではなく、
それぞれが、ただ、浅はかだったからのように思います。

浅はかさは罪でも悪でもありません。
裁判でも、事件や事故を起こしても、悪意がなければ、
罪が軽くなったり、無罪になったります。

でも、それによって不幸になった人が救われるには、
どうしたらいいのでしょうか。

自分の楽しいことばかり考えて、思慮が足りないのは、
悲しさの招く気がしてなりません。
10. Posted by みぱ   2007年03月21日 09:38
「人はみな違う」「どっちが正しいかを考えない。主張しない。どっちが楽しいかを考えよう。」
とても深い話ですね。

でも、しろくまさんの言うとおり自分の楽しいことばかり考えて、思慮が足りないのは、いけないと思います。

お互いの正義を主張すればぶつかり合う。
だから同じ事を相手に伝えるのでも、お互いが楽しくなるとか、お互いが気持ちの良くなる投げかけ方を考えていくことはできるんじゃないかと思います。

自分を理解してもらいたいと望む前に、相手の立場や事情を理解していきたい、と感じました。
11. Posted by aoiumiaruku-v.v   2007年05月02日 16:55
 いったい誰が悪かったのか・・・?
私も真剣に考えてみましたが、
3人とも行き過ぎたことをしていて、
その(程度)をどのように解釈するかで、
色々な考え方があるな〜と思いました。

 「話を聞けない」ということとの関係については、
自分の価値観に相手をはめようとするから、
相手の「話を聞けなく」なるのではないかと思いました。

【どっちが正しいとかではない。相手の気持ちはどうなんだろう。】
という相手への【存在承認】ができていれば
「話を聞いてあげられる」と思います。
それには自分に対しても、承認していなければなりませんけれども。
12. Posted by 願いを実現☆   2007年07月28日 22:58
それぞれの言い分があり どれが正しいとかまちがってるとか ないですよね。

基準が違うだけ

それを受け入れていくのは難しいけど大切だと思います。
 その基準に「なにが楽しいか」を取り入れていく
この方向性は素敵だなと思いました。



13. Posted by あきたん   2007年08月09日 22:32
「人は皆、違う。」
当たり前のことなのに、知らず知らず自分のものさしを
持ち出して、相手の話を聞いてしまうこと、よくあると思います。
聞いてるそばから「そうじゃないんじゃない?」と言いたくなったり。
その時点でもう、ちゃんと聴けてないんですよね。

友人との日常会話ならまだしも、コーチング的聴き方となると、
これはまずいよなと。
でもだからこそ、ちゃんと聴くことにものすごい効果があるんだと思います。
14. Posted by aoiumiaruku-v.v   2007年12月26日 14:46
(人は皆、違う)
当たり前のことなのに、忘れてしまいがちです。
親に依存していたことを、引きずったまま大人になって、
周りに依存するクセがついてしまっているのでしょう。

「話を聞けない」
  ↑こころの伸縮の幅が狭い
   ↑自分の価値観に縛られている
    ↑素直さ・謙虚さ・感謝力が足りない
     ↑精神的苦痛を乗り越えていない

私としてはこうまとまりましたが、いかがですか?


15. Posted by マーガレット   2008年02月02日 21:22
野口さん、こんばんは。
私は、「人は皆、違う」ということを理解しようとしていませんでした。
自分だけが違うと思い込んで、どこにいても場違いな気がして人間関係も自分から終わらせてきました。
こんな私ですが、たくさんの素敵な言葉のおかげで変わり始めています☆
そして、今、コーチングの記事として毎日読み進めていくうちに、私は、自分のことだけに一生懸命で相手への思いやりのなさに気づきました。
野口さんのナマのお声であらためて聴くと(第2回目♪)とてもわかりやすいです。
今日もありがとうございます。
16. Posted by ニコニコ未来   2008年03月03日 11:38
「人は皆、違う」
そう頭で分かっていても、自分に近い存在になればなるほど、自分の価値観を分かってもらおうと必死になってしまいます。
そして、それぞれの人がそれぞれの価値観を大切にしてるんですよね。
そう思うと、自分の価値観にこだわらず、周りの違う意見を理解しようとしたいです。
受け入れられるところは受け入れて、受け入れられないところは受け入れられなくてもいいんじゃないかなぁ。
私もOK、あなたもOK。意見が違う時もそりゃあるでしょ、くらいの気持ちで。(自分に言い聞かせながら書いてます
きっとそういう時に、正しさよりも楽しさを基準にするといいんでしょうね。
相手の価値観を否定せず、理解しようと努めることを忘れずにいたいです。
ありがとうございます。
17. Posted by プー   2008年03月26日 18:22
 誰が悪いのか、一生懸命探すのがスキかもしれません。相手の行動が「何のため?」とそれぞれ考えられ聞くことが出来たら事態は変わっていたかもしれませんね。

 自分の中にある正しさを認めてもらうことで安心をもらいたいのかな。全部正しいってこともあるのかな。

何が楽しいか?はそれぞれ感じ方が違うのだから○も×もありえない・・・感性ととらえると違っても不思議はないですね。
「こんな考え方も楽しいかもね」と言えたら楽なのかしら?
18. Posted by ようこ   2008年12月11日 21:45
どっちが正しいかを考えない。主張しない。どっちが楽しいかを考えよう
 そんな考え方が有ったんだ。そう考えるといい方向に進みますね。
 母と衝突したらそう考えます。
19. Posted by 成長ゲームマスター   2011年01月17日 00:55
5 正しさを求めると、誰が良くて誰が悪いという議論に発展する。
つまりこの状態で、相手の話を聞いても
自分にとって都合の良い情報しか入らない。

もし、相手のいう正しさに興味を持ち、主張を手放すことができたのなら
「新しい価値観」を手に入れられる。それは、聴くをとおし学びの場となる。

さらに、どうすればもっとお互い楽しくなるかを考えるとすれば
相手も正しさを追求することを手放し
お互いが笑顔で、心地の良い場を創ることができるのではないでしょうか。
20. Posted by Maygreen   2011年01月17日 07:39
このことと「話を聞けない」ということは、どんな関係がありそうですか? と書いてあったのですね。

野口さんのブログのストーリー を読み感動して
「正しさを主張せず平和を選ぶ」 と野口さんが書いていらしたことを思い出し 千葉みすずさんの 「みんなちがって、みんないい」を思い出していました。ですが

野口さんのタイトルは 「なぜ人の話を聞けないのか」 でした。

自分の都合のように解釈して 気付きに喜び、
どのような思いを伝えてくださるために 語ってくださっているのかを 理解しようとしていなかった からです。

解釈は人それぞれでしょうけれど
趣旨を「対話しながら」 聞くことの出来る自分でありたいな 
と 今感じました。 

21. Posted by na7me7   2011年01月17日 23:40
野口さんのこのブログを読んで
「人は皆違う」と私の中にしっかり落ちたことを今でも覚えています。

同時に2007年にてんつくマンに出逢いさらに
深く学んだことがありました。

マザーテレサの話ですが、あるとき
「あなたのような影響力のある人が、
戦争反対になぜ声をあげないのですか?」という問いに対して、
彼女は、「私は、戦争反対という活動には参加しないけど
平和賛成という活動には喜んで参加する」と答えたという話を
聞きました。

正しさと正しさのぶつかり合いは、争いを招く。
正しさではなくて、優しさ(^^)

そう学んでからNOではなくYES 
YES IS LOVE な考え方が大好きになりました。

正しさばかり主張しようとしていた自分が
私の考えは正しくないかも? 不完全かも?
楽しくないかも? 優しくないかも?って
決め付けずにゆるい感じになっていきました。

まだまだ、譲れない!って「我」も出て来る時もありますが・・(^_^;)

それでもこの話を聞いてから
人は皆違うと・・ 優しさで生きたいと思うようになりました。

もっと、もっと人に優しく、楽しい生き方をしていきたいです(^^)
22. Posted by リリィ♪   2011年01月18日 11:25
ありがとうございます。
本当に人の数だけそれぞれの正義がありますものね。
「どっちが楽しいか」という言葉、響きました。

23. Posted by shige   2011年01月19日 01:56
職場でぶつかってしまったときに、
野口さんのポッドキャストを思い出し
「人は皆違う」と唱えます。

すこし、相手が受け入れられるようになる自分を
感じることができます。

正しいより楽しいをしっかり選べるようになるには
まだまだ未熟ですが・・・
(皆様と同じく、余裕がないと駄目駄目です)

でも楽しくいきたいですね。




24. Posted by アーナンダ   2011年11月20日 13:27
>>
さて、あなたは上の話を読んで、3人の登場人物のうち、誰が一番悪いと思いますか?
<<
という質問で考えている
私。
という答えが
今ひらめきました。

実は
3回目だと思いますこの記事を目にするのは。

以前は

と考えたような気がしますが、
何か
引っかかっていました。

私なりに今回の

『私(自分)』

これが最終的な結論となるような気がして、
やっと
落ち着いた感があります。

いつもありがとうございます。
25. Posted by hide   2011年12月04日 09:30
こんにちは。

「人は皆、違う。」という事は、あたり前ではありますが、日常生活の中で
意識する事はこれまであまりありませんでした。

「なぜ相手の話を聞けないのか?」については、「人は皆、違う。」事を意識せずに
話を聞いた場合、自分の価値観や判断の正しさを否定される事は耐え難い事になるので、
一方的に伝える事に意識がいき、相手の価値観や判断を受け入れる気持ちの余裕が
なくなり、結果的に話しが聞けない事につながるのではと思います。

ありがとうございました。

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